野良犬社労士漂泊記

20世紀に開業した社会保険労務士の独り言

社労士試験のために通った資格学校の話(1996年 平成8年から1998年 平成10年)

今回は受験時代の話です。

 

平成8年(1996年)7月 1回目の受検


新宿にある会社に勤務して3年目から社労士の勉強を始めました。
急に勉強を始めたので何から着手して良いか分からずに、とにかく試験対策として過去問を徹底的にした結果、第1回目の受検は不合格だったものの、60%くらいの正解を取れてしまったのです。
それで勘違いしてしまった私、来年1年回り道するのでありました。

 

平成8年11月(2回目の受検に向けて)


平成9年の試験に向けて資格学校を選択。
選択基準は、
・通勤途中にあること
・合格実績良いこと
・学費がそれなりの金額で収まっていること
の3点。

その結果、JR高田馬場近くの早稲田セミナーに決めて、入学手続き。
ちなみに早稲田セミナーは現在ありません。TACに買収されたようです。
そういえば大学受験の浪人時代も高田馬場の予備校に通っていました。

学校が決まり講座を選択するときになって前回の試験のまぐれ得点を勘違いした私は、上級者向け講座に申し込んでしまったのでした。
これが今年の最大の間違えだったことはこの時点では知る由もない。
その上級者向け講座、平成8年12月から始まり、毎週月曜日と木曜日の19時00分から21時30分までの講義(記憶によると)。
講座は上級者向け講座だけあって、基本的なことは習得しているのが前提で、解答テクニックや実務話が多く、私には???。
平成9年の2回目の試験も不合格。

 

平成9年(1997年)12月(3回目、ラストチャレンジに向けて)


そしてラストチャレンジとして3年目に突入。
学校は同じく早稲田セミナー。
今回不合格だったら社会保険労務士は諦めるつもりでしたので、仕事よりも勉強の生活。
昨年の失敗から、今年は基本的なことから始める本科講座を受講。
毎週火曜日と金曜日の19時00分から21時30分までの講座(これも記憶によると)。
当時営業部員だった私は、12月に営業キャンペーンがあり講座を欠席することになってしまいました。
労働基準法就業規則のところだったことははっきり覚えています。

欠席してもビデオ補講があったので何とか取り返したようでした。

2回の受検でそれなりの経験と度胸が付いた私、早稲田セミナーはもちろんのこと、LECの模擬試験を受けて何科目かで成績上位者に名前を連ねることが出来ました。

当時はSNSが無かったので受検友達がいなく、クラスでも友達が出来ず、他の受講生を見ると自分のライバルだとしか見えなかったのです。
当時の合格率7%は14人に1人でしたので、仕方なかったのでしょうか。


■成績上昇の秘訣
成績が上がったことを自分なりに考えてみると、通勤時間や仕事の移動時間、ちょっとしたこま切れ時間にも過去問を解いていたことでした。
市販の過去問集を科目ごとに分解して1科目1冊の薄い本にして持ち歩き、5分程度の電車の待ち時間や喫茶店でのちょっと一息の時間にも過去問を解いていました。おそらく各科目とも10回以上繰り返したと思います。
これが合格の大きな力になったのでしょう。

 

平成10年(1998年)(3度目の試験、ラストチャレンジ)


講座に出ては復習して、模試も復習、そうこうしているうちに7月の試験がやって来ました。
ちなみに、試験日は、現在では8月の日曜日ですが当時は7月の水曜日。

日頃のテキストと過去問の繰り返しで何とか手ごたえをつかんで試験終了。

その当時、私が通っていた早稲田セミナー(他の学校も同じでしょうが)で、午後7時から試験解答速報会があり、そこで合格だろうと手ごたえをつかんで帰宅。それでも不安はあったので軽くテキストを読み続けてました。

 

平成10年11月合格発表

 

当時の合格発表は埼玉県の場合、浦和駅近くにあった埼玉労働局と同じく浦和にあった社会保険庁の事務所に掲示されていたのです。

最初に埼玉労働局で受験番号を確認して、さらに社会保険庁のところでも受験番号を確認。

最後と決めた3回目の受検で合格。


実は最後の受検の時は、約5年勤務した会社を退職してました。
理由は、仲が良かった先輩が人事異動で飛ばされたり、合わない上司が昇進して更なる権限を持つことになったからです。

しかし退職して受験に専念することなく、損害保険代理店の研修生となったのでした。
厳しい練習があり、夜も遅くまで帰れず、何度も迷って、結局のところ受検直前の7月上旬に退職。
その後1,2週間は勉強に集中できたので退職して良かった。
続けていても長続きしそうもなかったのでしょう。


ここまでは受験時代の話でした。

私が社労士になろうとした理由(1995年、平成7年?)

昭和40年代で1960年代生まれの男である私が社会保険労務士になることを決めたことの理由は「やってみたかった」。

都内の私立大学法学部を卒業して、会社員生活が始まったのが平成5年4月。西暦でいうと1993年。

約5年間の会社勤めをしているときに、あまり成績を上げてない課長の机の上に広げてあった賞与明細を見たときに、あまりの高額にショックを受けたのでした。なんと7桁。

そうか、自分も課長になれば7桁の賞与がもらえるのかと思ったものの、上には課長予備軍が大量にくすぶっていて、自分には課長が回ってくることは無いと判断。その時点で会社員を続けても先が見えてしまったので、自分で仕事をすることを漠然と思っていたのでした。

自分で仕事をやってみたいと思っても、当時独身で実家暮らしだったため、給料はほとんど仲間との飲食やCDに使ってしまい開業資金が無い。
元手が無くても始められ仕事は無いかと考えていたら、2つ思いつきました。
一つは保険販売業、もう一つは資格業。

保険販売業は、当時どこの会社にもお昼休みになると会社に入ってきて飴やチョコレートを配りながら生年月日を聞いて回った生命保険のおばちゃん、自動車保険の保険屋さんくらいしか思い浮かばなく、パス。

残ったのは資格業ですが、最初に思い付いたのはやっぱり弁護士。でも超難関のため瞬時に断念。
本屋でいろいろと調べたところ、試験合格率と開業しやすさのバランスが良かった社会保険労務士にターゲットを絞ったのです。

社会保険労務士ともう一つ税理士が最終候補でしたが、試験の難易度が格段に高いうえにすでに飽和状態のようだったのでこちらもパス。

行政書士中小企業診断士司法書士も調べたのですが、これらの士業は顧問契約できないようで収入の安定が図れないことを考慮して回避。

ということで会社勤務をしながら夜に、資格学校に通い力をしながら3回目に合格。

ちなみに自宅は首都圏のとある市(山手線の駅から私鉄で40分程度)、勤務先は西新宿、資格学校は高田馬場

勉強開始から合格までの話は次回に。